全国菊池の会

全国の菊池氏およびその後裔により菊池精神を継承することで社会の健全なる発展に寄与します

菊池氏関連資料

主要遺文

菊池神社宝物 菊池家憲

国指定重要文化財(旧国宝)

 此の古文書は、菊池神社御祭神菊池武重公の御自筆の起請文で、六百年の星霜を経た御血判が今もなお鮮かな血の色を匂はせ、神気粛然として身に迫るものがある。
 延元三年(西暦一三三八年)菊池十三代の主肥後守武重公は、寄合衆(内談衆とも云う。管領を議長とする合議政体)を定め、伝家の精神を宣明すると共に、立憲政治の真髄を示し、和衷協力と信仰の重要さを教えられたのが此の古文書である。
 即ち、第一条は、天下の重大事に際しては寄合衆の評定に附するが、勅命を奉ずるか幕府に従うか、最後の決定は伝家の精神を嗣ぐ当主の信念に従うべきこと。(これによって菊池一族は、足利尊氏以下の勢威に屈せず、南朝を奉じて終始大義を誤ることがなかった。)
 第二条は、肥後の国政に関しては家督の専制政治を排し、寄合衆の合議を尊重し、たとえ当主の意見が衆議よりすぐれていても、議長以下議員一同が賛成しなければ当主の提案といえども用うるに及ばないこと。(驚歎すべき合議政治である。)
 第三条は、同族中和合協力一致して訴訟を禁じ、寺院を崇敬し五常の大義(仁・義 ・礼・智・信)を練磨して家門永遠の繁栄を祈願してゐる。(これによって節義なき天下の風潮の中で一族中一人の叛徒を出さず、四世六代六十年一門団結して一節に南朝を奉じ、大義に殉じ得た。)
 以上の三箇条を上下同心して実行に忠ならんことを八幡大神に誓約せられたもので菊池家伝統の信念を法三章に凝集し、大義名分を正すと共に、立憲合議政治の先駆をなした事は憲政史上の驚異であって、古来「菊池家憲」と讃えて尊崇せられて来た。此の一篇の古文書は、まことに菊池精神の権化であり象徴と申すべきである。
 幕末維新に際し、肥後の国学者上野堅五及び小山多乎理は、これを木版刷りにして有志に頒布した。横井小楠はこれを得て由利公正に与えた。勅命によって五箇条の御 誓文の草案に従っていた公正は一読して感激やまず、御誓文の第一条「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ」は、家憲第二条に基づいて成案せられたと云う。
 また明治憲法の草案に従うた井上毅も亦これを伊藤博文に示した。博文は膝を叩いて「これ有る哉」と歎称し「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇コレヲ統治ス」「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」という帝国憲法の第一条、第三条を決定したものは、実に家憲第一条の精神であった。

(詳細は 上米良純臣著「寄合衆の内談こと」を参照せられたい。)
菊池神社 発行

所蔵 /菊池神社

菊池武士書状

所蔵 /廣福寺

菊池武光書状

所蔵/菊池武則

大智契状

所蔵/廣福寺