全国菊池の会

全国の菊池氏およびその後裔により菊池精神を継承することで社会の健全なる発展に寄与します

菊池氏の起源

起源

菊池氏は、中の関白藤原道隆の三男中納言藤原隆家の五男藤原政則(幼名基定)の長男藤原則隆が、後三条帝の命により延久二年(1070年)9月に肥後国菊池郡に下向したことから始まる。延久の荘園整理令に合わせた肥後赴任であった。この時賜った御剣は今も残っている 。当時の幕紋には獅子牡丹が使われていた。それから4年後、帝の崩御に伴い承保元年(1074年)2月、同深川村に築城し、この時初めて地名をとり菊池氏を名乗った。これが菊池氏の始めである。( 14代武士後裔福島菊池紺野系図による)本会員所蔵の藤原系圖、菊池古系圖などによる検証により顕らかになった史実を根拠とする。尊卑分脈にある隆家五男の基定(後の政則)の詳細な記述が決め手となっている。
また則隆に太宰少監の官職ある系図を見るが、江戸期以前の系図に記載はないので、大日本史編纂の過程で生じた誤伝が発端だと思われる。

(歴代当主敬称略)

福島菊池紺野系図(部分)より