全国菊池の会

全国の菊池氏およびその後裔により菊池精神を継承することで社会の健全なる発展に寄与します

菊池氏歴代当主・菊池氏

菊池氏略系図

14代菊池武士の後裔である福島紺野家に伝わる系図の一部である。藤原家系圖、菊池家系圖、 菊池古系圖寫書上控、菊池系図巻物、その他分家系譜等多くの系図が残されている。14代武士から現代(紺野家)に至るまで歴代当主が書き連ねて来た貴重な系図である。代々の写しで伝わっているものの中で、一次資料として一番古いと思われるのが、この菊池系図巻物である。最後尾にある当主が菊池武博(1411年~1468年)である。まだ享年が書かれてないので、少なくとも1468年(応仁2年)以前に書かれたものと推定出来る。父頼来の享年が文安3年(1446年)とあるので、1446年から1468年の間に作成されたと推定出来よう。現存する菊池系図では最も古い系図である。縦約15cmで掌に修まるコンパクトサイズの巻物は、幾多の戦渦を逃れて受け継がれた先祖の思いが凝縮されたものである。則隆から始まり武士長男の武頼~頼来~武博までの福島菊池の系譜と肥後は武朝までの系譜が書き込んである。遠く離れた異境の地でも肥後菊池家の情勢を把握していた事が伺い知れる。

作成:全国菊池の会事務局

菊池氏歴代当主

2017年熊本県民テレビ開局35周年特別番組『幻の刀「蛍丸」と九州最強武士団 』 にて、熊本県玉名市小島(おしま)の個人宅で二十四代武包と十代武房の伝承とされる墓がある事が解りました。

初代則隆(のりたか)
生年月日長元2年正月
没年月日康和3年3月15日
妻名葉室侍従 清原親道女
延久二年(1070年)肥後国菊池に下向、承保元年(1074年)この地に築城し地名を以て初めて菊池姓を名乗る。 墓所は、菊池市深川にあり、里道を挟んで「菊の池」と相対する位置関係にあります。 また、この地は菊の池城址となります。
二代経隆(つねたか)
生年月日天喜元年6月
没年月日長治2年6月28日
妻名式部少輔 則宗女
菊池則隆の子 墓所は、菊池市出田の若宮神社
三代経頼(つねより)
生年月日延久5年8月
没年月日保安4年6月5日
妻名西郷太郎政隆女
菊池経隆の子
四代経宗(つねむね)
生年月日永長元年2月
没年月日久安元年3月26日
妻名大納言 宣家女
菊池経頼の子
五代経直(つねなお)
生年月日天永2年1月
没年月日文治3年6月28日
妻名左中将 頼永女
菊池経宗の子 墓所は、佐賀県武雄市大字橘の潮見神社隣接地に夫人と共に鎮まる。近年再興された。
六代隆直(たかなお)
生年月日久安2年10月
没年月日文治4年11月2日
妻名赤星十郎経俊女
菊池経直の子 墓所は、伝承では山鹿市前河内正蓮寺(廃寺)墓は滅失
七代隆定(たかさだ)
生年月日仁安2年4月
没年月日貞応元年2月13日
妻名合志四郎直方女
菊池隆直の子 墓所は、伝承では菊池市七城町個人宅にあります。兄隆長・弟秀直の菩提塔と三基並列
八代能隆(よしたか)
生年月日建仁元年5月
没年月日正嘉2年9月8日
妻名左中将 公清女
菊池隆継(早世、隆定より早く死去)の子 墓所は、伝承では玉名市小島の個人宅にあります。
九代隆泰(たかやす)
生年月日嘉禄元年12月
没年月日建治2年2月28日
妻名中将 隆政女
菊池能隆の子 墓所は、伝承では玉名市小島の個人宅にあります。
十代武房(たけふさ)
生年月日寛元3年6月
没年月日永仁6年8月27日
妻名右京大夫 光資女
菊池隆泰の子 墓所は、伝承では玉名市小島の個人宅にあります。
十一代時隆(ときたか)
生年月日弘安10年9月
没年月日嘉元元年10月12日
妻名17歳死去(武房の孫)
菊池隆盛(早世、武房より早く死去)の子
十二代武時(たけとき)
生年月日正応5年11月
没年月日元弘3年3月13日
妻名赤星三郎有隆女
菊池隆盛の子 首塚は福岡市六本松三丁目に、胴塚同市七隈にあります。胴塚には菊池神社が鎮座
十三代武重(たけしげ)
生年月日徳治2年正月
没年月日興国2年10月26日
妻名大納言 宣房女
菊池武時の子 墓所は、菊池市亘にあります。この地はもと東福寺の歓喜院跡。菊池神社より南へ徒歩約十五分
十四代武士(たけひと)
生年月日元享元年6月
没年月日正平7年11月23日
妻名肥前守 武澄女
菊池武時の子 墓所は、熊本県八代市下大野の正福寺にあります。
十五代武光(たけみつ)
生年月日元応元年
没年月日文中2年11月16日
妻名不詳
菊池武時の子 墓所は、菊池市東正観寺町 正観寺境内にあります。 大きな楠を墓印とし、樹下に神道碑があります。
十六代武政(たけまさ)
生年月日興国3年
没年月日文中3年5月26日
妻名阿蘇惟澄女
菊池武光の子 墓所は、正観寺境内東の墓地にあります。宝篋印塔
十七代武朝(たけとも)
生年月日正平18年
没年月日応永14年3月18日
妻名宗盛義女
菊池武政の子 墓所は、菊池市稗方と菊池市金峰山の2カ所にあります。
十八代兼朝(かねとも)
生年月日弘和3年
没年月日文安元年3月8日
妻名河尻広覚女
菊池武朝の子 菊池市七城町岡田の神嶽山正善寺跡にあります。芦北郡佐敷の千寿庵にも墓所があります。
十九代持朝(もちとも)
生年月日応永6年
没年月日文安3年7月28日
妻名不詳
菊池兼朝の子 墓所は、菊池市片角の菊栄山光善寺にあります。菊池神社の西南、徒歩約二十分
二十代為邦(ためくに)
生年月日永享2年
没年月日長享2年10月21日
妻名宗兼義女
菊池持朝の子 墓所は、菊池市玉祥寺の江月山玉祥寺の墓地。分墓が七城町板井碧厳寺にもあります。
二十一代重朝(しげとも)
生年月日宝徳元年
没年月日明応2年10月29日
妻名大友政親女
菊池為邦の子 墓所は、父為邦と共に玉祥寺の墓地にあります。菊池神社の西北、徒歩約十五分
二十二代能運(よしゆき)
生年月日文明14年
没年月日永正元年2月15日
妻名隈部武治女
菊池重朝の子 墓所は、菊池市東正観寺の清正公井出の傍らにあります。
二十三代政隆(まさたか)
生年月日延徳元年
没年月日永正6年8月17日
妻名不詳
菊池重安の子 墓所は、菊池市泗水町豊水の久米安国寺背後の墓地にあります。
二十四代武包(たけかね)
生年月日永正元年
没年月日天文元年2月13日
妻名宗盛頼女
菊池武安の子 墓所は、伝承では玉名市小島の個人宅にあります。
初代 則隆
十代 武房
十二代 武時
十五代 武光
二十代 為邦
二十二代 能運